モーム『イギリス文学』

 

読書案内一章


■はじめに

試験や知識のために読まなければいけない本があるが、そうした書物は退屈で、むしろ諦めの気分で読む。
しかし読書は楽しくあるのが本当である。
楽しい書物は、生計を立てる役には立たないかも知れないが充実した生活を送ることには役に立つ。

 

■楽しみのための読書

本書は、読まなければ損という本を読んでみたいと思っているある程度暇のある人に向けて書いている。

最大傑作の中にも実はあまり読まれてないものや、今読んでみると全く面白くないものがある。

自分にとって最良の批評家は自分である。自分の興味をひかなかったり面白くなかったならば、その本が世間でどんな良い評判を得ていようが読む必要はない。
だから以下に挙げる本も私(モーム)にとっては重要な本の数々であるが読んでみてどうも面白くないようであれば、遠慮なく読むのをやめてほしい。
読んでも楽しくないなら何の意味もないし、人は楽しみのために読まねらばならないから。


■読書の楽しみ

ところで、楽しみは不道徳なものではない。楽しみ自体は大きな善である。
楽しみは下品で官能的なものとはかぎらず、知的な楽しみほど長持ちして満足できる楽しみは他に無い。

なので、こうした満足を得たい人は読書の習慣を身につけると良い。
読書はいつでも気が向くままにいつでもはじめられて、好きなだけ続けられて、いつでもやめられる。

読書の習慣を身につけることは、人生のほとんど全ての不幸からあなたを守る←!

 

■読書の仕方

本を一冊ずつ読了していく必要はないと私は考える。4、5冊の本を用意してその日その時の気分に合わせて読む。例えば朝に科学書、哲学書のような頭脳に刺激を与えるもの、仕事後に歴史や随筆、夕方に小説を読み、またいつでも読みたい時のために詩集を手元に置き、夜寝る前のためにどこからどう読んでも心がかき乱されない本を枕元に置いてある。私にはこうしたやり方が性に合ってる。

もちろんこれは私のやり方であり、読書の仕方は各自の好きにして良い。

 

■デフォー

『モル・フランダース』は報道文学の傑作だと言える。作中の人物は本当にこういう話し方をして、こういう行動をしたのだと読者は思い込んでしまうくらい本当らしく見える。
下品で残酷な物語だが、英国の国民性の一つである(と考えたい)一種の逞しさがある。
デフォーは想像力もユーモアも乏しかったが、広い人生経験と印象的な事柄を見逃さない鋭い目を持っていた。
彼はクライマックスや人生についての絵模様を描こうとはしなかった。ほとんど同じことを200ページも読まされるともうたくさんだという気になるが、それでも淫らな女主人公が最後に後悔してまともな生活に入るまでついていきたくなる。


■スウィフト

ガリヴァー旅行記』には機知あり皮肉あり、巧みな思いつき、淫らなユーモア、痛烈な風刺、溌剌とした生気を持つ作品である。
また感嘆するような文体で、これまで英語を用いてこれほど簡潔で明快で素朴な文章を書いたものは他にいない。
ジョンソン博士の言葉を借りれば「平易であって卑俗におちいらず、上品であって華美にわたらず、男性的であってしかも傲慢な所のない英語の文体」と言える。

 

■フィールディング

トム・ジョーンズ』は英文学の中で最も健康な作品である。颯爽として、勇敢で陽気で、逞しく太っ腹な作品である。

フィールディングは自分の芸術を意識し、無数の出来事と数多くの人物を創造した。登場人物が慌ただしく騒がしい世界に生き生きと描き出されているのは素晴らしい。

この作品は誰が読んでも楽しく思い、男らしく、健全で、インチキなところが少しもなく、読者の心をすみずみまで温めてくれる作品である。

 

■スターン

『トリストラム・シャンディー』は前述のフィールディングの作品とは全く異質な作品である。読む人次第では「こんな面白い本は未だかつて読んだことがない」とも「退屈でキザな本だ」とも思うだろう。たしかに統一を欠き、首尾一貫していない。
しかしユーモアとペーソスに満ち、驚くほど独創的である。
またその登場人物達は実に愛すべき人物であって、もしこの存在を知らなかったならば償いがたい損失だったと読者は感じるだろう。

 

■ボズウェル

サミュエル・ジョンソン伝』は英語で書かれた最も優れた伝記である。どこを開いても必ず面白い。

ヘブリディーズ諸島旅行記』は『ジョンソン伝』ほどは知られていない。これを読めばジョンソン博士に対する敬愛の気持ち、ボズウェルに対する尊敬の気持ちが増してくる。

面白い事件を一つとして見逃さぬ鋭い目、キビキビした言葉に対する優れた理解力、ある場面の雰囲気や生き生きした話を再現する非凡な才能に恵まれていたボズウェルは決して軽蔑していい文学者ではない。

 

■ジョンソン

ジョンソン博士はボズウェルの『ジョンソン伝』により広く知られているが、博士自身の著作を読んだことがある人となるとほとんどいない。

『詩人伝』は休暇の読み物として、また夜寝る時の読み物として最適である。文章は明晰、鋭い風刺とユーモアに富み、実際的な常識がいたるところに見出される。
時にジョンソン博士は他の文学を批評しその見解に我々は驚くが、ジョンソン博士は鋭く寛大な観察眼によってその文学の著者をよく描き出しているので、我々がその批評されている文学そのものは読んだことがなくとも、この評伝を楽しんで読むことができる。


■ギボン

ギボンの『自叙伝』を私は心から愛好するが、正直言って読まなかったら大変な損失になる本というほどではない。

それでも読んで非常に面白い本である。高雅な文章、壮重な趣とユーモアを両立させている。


ディケンズとバトラー

ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』とバトラーの『万人の道』は英国小説の偉大な伝統に深く根を下ろしているだけでなく、英文学の特徴である逞しさ率直さ、ユーモアと健全なるものを著しくあらわしている。これらの本は巧緻さと繊細さに欠けている。つまり思索的であるより行動的なのである。多分に常識的で、多少感傷的である一方、豊かさな人間性がある。

『デイヴィッド・コパーフィールド』はディケンズの最高傑作であり、彼の長所が最も出ていて、短所が最も目立たない作品である。

『万人の道』は堂々としたスタイルを用いて書かれた最後の英国小説であると同時に、フランスやロシアの文学の影響を受けなかった最後の作品でもある。

 

■オースティン

オースティンは英国最大の小説家ではない。やはりディケンズが最大である。
ディケンズはサスペンスありユーモアあり、人生の多様な面を映し出す一つの世界を創造した。同じことができたのはトルストイのみである。

オースティンは完璧な作家である。確かに彼女の描く世界はごく狭く、限られた階級の限られた登場人物しか出てこない。しかし彼女ほど人間を見る鋭い目を持った者はほかにおらず、細かい気遣いと慎重な分別によって人間の心の奥底に探りを入れた者は他にいない。

そもそもオースティンの作品ではこれと言った事件が起こらない。なのに、なぜかはわからないが、次には何が起こるのだろうとページをめくって先を読まずにはいられなくなる。これこそ小説家にとって必須の才能であって、彼女ほどこの才能に恵まれた者はいない。

彼女の作品は数少ないが、『マンスフィールド・パーク』が一番面白い。賢く、気が利いてて、愛情に富み、皮肉なユーモアと微妙な観察とが見られる傑作である。

 

■ハズリットとラム

チャールズ・ラムは魅力があり、やさしく機知に富み、知れば愛さないではいられない人物であるのに対し、ハズリットは粗暴で気が利かず嫉妬心が強く喧嘩っ早い男である。しかし、ハズリットの方が優れたエッセイストである。

人間として優れていても、優れた本が書けるというものではない。芸術家にとって大切なのは個性である。辛抱強いがやや涙もろく、ものやわらかなラムより、絶えず苦しみ争い続けた荒々しいハズリットの魂の方に、私は興味を覚える。
ハズリットの文章は精力的で大胆で健康であった。言いたいことがあればきっぱり言った。最も優れた文章は『卓上閑話』に含まれているが、中でも「はじめて詩人の知己を得て」は彼の書いた最も感動的な文章であるのみならず、英語で書かれた最も見事なエッセイであると私は考える。

 


サッカレー

人間がいかに平凡であるか深く悟り、人間の持つ矛盾に興味を抱いたサッカレーの物の見方は現代人のそれであるが、生まれた時代のせいでヴィクトリア朝の因習に妨げられていたのは不幸だった。
彼の性格の弱さから世間一般に対して不当なほどの譲歩をしたのは遺憾である。しかし彼がどう評価されようと『虚栄の市』の登場人物の一人、ベキー・シャープという英国小説で最も真実な生き生きとして力強い人物を生み出したのは事実である。

 

エミリー・ブロンテ

嵐が丘』はユニークな作品である。欠点はあるが情熱に満ち、深い感動を読者に与えずにはいられない。偉大な詩と同様に深刻で力強い。普通の小説ならどれだけ夢中で読んでも「これは単なる作り話だ」と自分に言うこともできるが、この作品は読者の生活を根底から覆さないではいられない経験を持つことになる。


■その他

ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』
トロロップの『ユースタス家のダイヤモンド』
メレディスの『我意の人』
これらも、読まないのは損失と思われる小説であるが、スペースの関係上省略しなければならない。

 

■イギリス詩選

英国は絵画や彫刻、作曲の面で、他国と比肩しうる第一級の人々を生み出していない。
しかし詩にかけては英国は最高の位置にいると私は主張する。

詩は文学の頂点であるから、二流どころでは困る。偉大な詩でなければ、詩は全く無意味である。

しかも、いつでもどこでも詩を読むというわけにはいかない。詩を読むのにふさわしい環境で読みたい。夏の日が暮れかかるころの庭、海が見渡せる崖の上、あるいは森の中の苔むした斜面に腰掛けてポケットに入れてきた詩集を取り出して読むことを私は好む。

偉大な詩人も退屈な詩をたくさん書いている。さらに二流以下の詩人となるともっと大量に詩を書いておきながら真に価値のあるのは二、三篇だけということもある。わずかこれだけの詩のために多くの駄作をも読まなければならないのは苦痛だ。なので選集が良い。

批評家連中は「詩人を理解するには全集を読まねばならぬ」として選集を軽蔑してるようだが、私は批評家として読むのではなく、慰安と気晴らしと魂の平和を求める一人の人間として読む。
選集は感受性豊かな学者が労を惜しまず莫大な量の詩の中から価値の乏しいものを取り除いてくれた、実にありがたい読み物である。

優れた詩の選集としては
パルグレイブ『名詩選』『オックスフォード版イギリス詩選』
ジェラルド・ブレット『イギリス短詩選集』
の三つがある。

もちろん私たちはシェイクスピアの偉大な悲劇を読まねばならない。彼は不世出の偉大な詩人である。彼の劇と詩についての精髄を集めた一冊の選集があれば良いと思う。

 

 


○感想

 

何かの雑誌に寄稿した文章中に「若者から『何を読めば良いか』と聞かれることがある」という何気ない文を書いたらその雑誌の読者から反響があり「何と答えたんです

辛口なモームが他人の作品を褒めまくるだけでなんだか楽しくなってそれらを読みたくなってくる。この読書案内はイギリス文学のほか、ヨーロッパ文学、アメリカ文学も網羅してて、さらに『世界の十大小説』というのも著している。そちらの方は小説10冊に絞ってよりディープな解説を加えている。必読。

とはいえ実際にこれら古典に取り掛かると訳文のせいか人物の覚えにくい名前のせいか結構しんどかったりする。その場合はモームが薦める「面白くなかったら読むのをやめて良い」をありがたく実行するのみ。『嵐が丘』『デイヴィッド・コパーフィールド』『トム・ジョーンズ』あたりは買ってはあるがページをめくったかも覚えてない…。

しかし少なくともオースティンは本当に面白い。確かになんでこんなに先を読みたくなるのか意味がわからないくらい面白い。中でもやはり王道を征く『プライドと偏見』。映画版はキャストも良かった。『プライドと偏見とゾンビ』は…どっかで立ち読みして呆れてそれっきり。

 

 

 

読書案内―世界文学 (岩波文庫)

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