スティーブンスン『怠け者のために』

 

岩波文庫『若い人々のために』収録


ここでいう怠け者はめんどくさがりとか本当に何もしない無気力な人というより、「勉強といえば学校、仕事と言えば会社」というような世間一般の常識とは相容れない自由な精神の持ち主…と捉えた方がわかりやすい。

 


■勤勉な人とそうでない人

世の中には熱心に働く人がいて、一方で何もしていないように見える人もいる。
しかし何もしていないように見えても非常に多くのことをしており、その内容が勤勉な人たちには認められず怠惰と呼ばれていることもある。

金目当ての競争を行なっている人達にとって参加を嫌がる人々がいるのは侮辱であり興醒めだ。自分が努力を重ねてしていることに人々が無関心であるのは耐え難い。
だから知識のある人は知識のない人を、働く人は働かない人を非難する。

勤勉は大したものだが、非難の余地もある。

 

 

ガリ勉はよろしくない

若いときには怠けよ。

少年は優等メダル欲しさにあまりに高価な代償を支払っている。
読書は有益ではあるが、人生の代用物としては生命を欠いている。

今思い出してみても、学校を逃げて経験した有益で充実した時間を後悔することはなく、むしろ面白くもない授業を受けてた時間を残念に思うのではないか。

私は授業で得た学問よりも、街頭で得た学問の断片の方を有難く思う。
もし少年が街頭で何も学ばなければ、それは学ぶ能力が無いということだ。

世間では、ある真実があっても、それが既存の学問の範疇に収まる名称を持ってなければ、無駄話だと認定する。

自分の目で見て自分の耳で聞き、自分で体験する聡明な人間の方が、寝る間も惜しんで学問に励む聡明な人間より、ほんとうの学問をしている。

 

 

■勤勉の弊害

学校、教会、市場と問わず極端な忙しさは生気欠乏の兆しである。一方で怠ける能力は大いなる嗜好欲と強い個性を意味する。

学問と仕事のみに励んでいる人は確かに自分の領分では勤勉で鋭い目を持ち富を積むが、その他の時間では何の楽しみも好奇心もない虚ろな存在になってしまう。
彼らは多くのことを無視することで事務仕事に専念できるが、その分周囲は苦しめられ、その上事務仕事が彼にとって最も重要な仕事だとは言えない。

 

 

■幸せな人であれ

苦痛と困難という代償を払って得た恩恵で無ければありがたいとも思わない人たちがいる。しかしこの考え方は卑しい。読んで楽しい手紙も、もし差出人の血で書いてあったら我々はもっとありがたいなどと思うだろうか?
苦痛や犠牲をともなわない自然な愉快さはありがたい。幸福であることほど軽んじられている人間の義務はない。

幸せそうな人はそれだけで周りに利益を与える。
幸せな男女は難しい数学の定理を証明できなくても問題ない。彼らは「人生は生きがいがある」という偉大な定理を実地に証明している。

一方で勤勉なものたちは忙しさと病気、富と精神疾患を同時に得ている。
こうした周りに毒を撒き散らす者が死んだら人々は喜ぶだろう。

だから、怠けないと幸せになれない人は怠けるが良い。

 

 

■どうせ人間一人の力は大したものではない

我々はこんなにあくせくして何をしようとしているのか。なぜ自分だけが特別だと思うのだろうか。
我々の代わりはいくらでも控えている。例えシェイクスピアがどこかで殺されたとしても世界は止まらない。
青春を捨ててまで追い求めるものは妄想の産物かもしれないのだ。

 

 

 

○感想
「怠け者」というとちょっと意味合いが違うが、世の勤勉至上主義にとらわれず自由な発想ができる人、あくまで自分の欲望に忠実な人というか。
歴史的な天才は学校ではパッとしなかったとかそういう逸話も多いし、ノーベル賞受賞者も全員が一流校出身かと言うとそうでもないのも、こういう非学校的な学びの方が向いてたとかそういう話だろうな。

(『スラムドッグミリオネア』がこの章で言ってるような内容の映画だったかな。あれは街で覚えた生きる術というより正真正銘「街頭で得た知識の断片」で成り上がる話だったからちょっと露骨すぎる。)

そういや漫画とかで、門外漢やアマチュアが非勉強的な経験から得た自由な発想を駆使してマニュアルエリートにひと泡ふかせるというような様式は一定の人気がある。しかしこれはヤンキーが好きそうな「勉強しない方が自由な発想ができる」という安易な反知性主義にも繋がりかねない危うさがある。
個人的には「リベラルアーツ」というようにあれこれ幅広い範囲で色々知ってた方が自由な発想が容易になると思える。「クリエイティブは常に、既存のものの組み合わせである」と言うし。
(ところでリベラルアーツって「自由市民に相応しい学問」なのか「(思い込みから)自由になるための学問」なのか。最初見たときしっくりきたので後者であってほしい。)

この章の内容は自分の楽しみより何より「良い学校と良い成績、良い会社と良い給料」を最高の生き方として追求しがちな日本社会に対する警告になり得る。
特に途中で名指しされる「仕事や勉強はできるが、それ以外は何もできずつまらない人」なんか、趣味がないのが悩みというようなサラリーマンに通じる話じゃないか。
何と言っても日本人は自分らの特色に勤勉を挙げるほどの勤勉至上最高なんで、遠慮なく自分の楽しみを追求していい風潮ができても良いと思える。
そんな現代でも本当にデキる奴は仕事に趣味に大活躍できてるイメージがあるが。
最後に唐突に出てくる「人間には大したことはできない」という厭世観も「だからもっと幸せを追求しようぜ」というメッセージととらえると自然。

この章だけ見ると「じゃあ勤勉なんかやめよう」という気にならないでも無いが、著者本人もはじめに勤勉の徳は認めている。こう考えるとなんだかんだ、勉強と実地体験、どっちもバランスよくやろうという話に落ち着く。
マルコムXもその弁舌やタフネスは怪しげな街で暗躍したハスラー時代に身につけた実戦的なものであったのは確かだが、その後刑務所でめちゃくちゃガリ勉もやってるしこういうどっちもやってる人間が一番強そう。

とにかくこの章の内容は「よく遊び、よく学べ」という短い言葉でまとめられると思う。

 

 

若い人々のために 其他 (岩波文庫)

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