カール・ヒルティ『どうしたら策略なしに常に悪と闘いながら世を渡ることができるか』

または「実際生活における理想主義」
この章でヒルティはクリンガーを理想主義の実践者として紹介している。
この章における理想主義とは、「最終的に善と正義が勝つ、という信念」と捉えられる。


■導入
・野蛮な生存競争を是認するこの世界で理想主義は「たしかに立派だが、実際は役に立たない」とみなされている。
・理想主義を信じることはこの世が成立するには絶対に必要だが、証明できない。しかし証明はできなくとも証言者としてロシアの将軍マックス・フォン・クリンガーという人物がいる。
・クリンガーは腐敗しきった宮廷で高い地位につきながら、勇気と道徳心を発揮し続けたことで人々の尊敬を受けた。またゲーテの友人としても知られる。その人物が以下のような題名の短い論文を残している。

 

■クリンガーの小論
【どうしたら策略なしに常に悪と闘いながら世を渡ることができるか】

①この道を行こうとする者は外的な成功を微塵も求めてはならない。あくまでも己の義務を果たし、厳しく、力強く、公明正大の道を行かなければならない。

②清廉潔白を保つためには世の中に輝き出でようとする心、虚栄心、名誉心、権勢欲を一切断念しなければならない。

③どうしても義務感から要請されるまでは表舞台に立たず、孤独を保ち、家族と、少数の友人と、書物の中で生きなければならない

④あらゆる恣意的な改革的意欲とその兆しに対しては厳に警戒しなければならない。単に意見だけを持つ人と、意見について争ってはならない。自分のことだけを静かに深く考え、反省しなければならない。
…私は力と素質が許す限り自分の性格と精神を伸ばしてきた。
…私は自分自身を他人に対するより更に厳しく、観察し、取り扱ってきた。
…私は決して演技をしなかった。その気も起こらなかった。
…私には多くの職務を課せられた。そして職務を果たした後は、深い孤独と、出来る限りの節制のうちに過ごした。


ヒルティによる注解
以上はクリンガー自身の豊富な経験から導き出された教訓であり、神学者や哲学者が書斎に閉じこもって考案した机上の空論ではないところに大きな価値がある。

①について…
まず、クリンガーの言う「無事に世を渡る」とは世間一般の「成功」とは別物である。「無事に世を渡る」とは人生の勝利であり、むしろ外面的な成功とは相入れない。なぜなら真の勝利は不成功の中にこそあるからだ。

②について…
自分一人が他者から抜きん出ようと競争の中で生きる者は、自分より上にいる者には嫉妬し、自分より下にいる者に脅威を感じる。しかもこんな苦痛を味わいながら最終的に「成功」を手にできる人間はほとんどいない。手にしたとしてもそれが幸福に繋がることは無い。利己的な努力は人を消耗させるが、非利己的な活動からは絶えず新たにされる健全な力が生まれ、世の人々から正当な援助を受け取ることができる。

③について…
ある程度孤独を愛することは精神の発展のためにも、真実の幸福のためにも絶対に必要である。実際に到達できる幸福は、ある大きな思想に生きて、それのためにたゆまず着実な仕事を続ける生活のうちに見出される。そうした生活は自然と「無益な社交」を排斥することになる。こうした行き方をする人間は気分の支配を受けなくなり、他者の言動を平静な心で見ることができるようになる。

④について…
クリンガーの人生哲学の概要。どのような人でも世俗的生活から逃れる際に3つの段階を経る。

ⅰ、どんな対価を支払ってでも世俗の道から逃れたいと決心することで正道に辿り着く
ⅱ、自分の内面の「新しい人」と「古い人」との長い闘いが生まれる。良いものを求めて努力する人でも、生涯の間この段階に留まることが多い。
ⅲ、「新しい人」が実を結んだ時、すべての人間関係が正しい秩序を見出し、かつて興奮状態で現れたような勇気は常に冷静さとして現れ、あらゆる出来事や他人の批評によって動揺することは微塵もなくなる。

クリンガーは公明正大だったが故に、3つ目の段階に達することができた人だった。

◼︎まとめ
以上のことが「理想主義」であるかどうかはともかく、この主義を堅く信奉する人にとってはその他の世間のどの人生観より満足を与えるもののように思われる。しかし多くの人はクリンガーよりもアグリッパ王に従おうとするだろう。

(※アグリッパ王は無関心のために聖徒の話を遮り、聞く耳を持たなかったエピソードが有名)

 

 

 

幸福論 (第1部) (岩波文庫)

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