カール・ヒルティ『仕事の上手な仕方』

『幸福論第一部』

 


■はじめに

仕事の上手な仕方は、あらゆる技術の中で最も大切な技術である。
この技術を一度正しく会得すれば、その他の一切の知的活動が極めて容易になるからである。

しかし人々は上手な働き方より、休息を求める傾向がある。
働きと休息は、両立しない対立物のように見えるが、果たしてそうか。

人間らしい安らかな生活と労働は相容れないという誤った考えをもとに奴隷制が発明され、今でも労働者の不当に安い賃金が文化を支えている。
しかし、全ての人が正当に働くようになれば社会問題は直ちに解決する。
そのためには強制するよりも、人々の心に労働の喜びを思い出させることが必要になる。
労働の喜びは自分で考え自分で経験することからのみ生まれる。他人の教訓や実例からは決して生まれない。

休息は心身を全く働かせずなるべく怠けることによって得られるのではなく、むしろ心身の適度な秩序ある活動によって得られる。人間の本性は働くように出来ているから、本当の休息と幸福は活動の中にのみある。

とはいえ、道楽半分の手芸、スポーツ、芸術修業といった見せかけの労働や、自分の仕事の成果を見ることが少ない工場労働などでは心の満足を得ることは難しい。
逆に、自分の専門分野以外何も目に入らないほど没頭できる芸術家や学者はどんな変わり者であってもこの上なく幸せな労働者である。

有益な仕事は全ての人々の心身の健康のために絶対必要である。

このように労働が心身に良いことは分かりきったことなのに、なぜ人々は働こうとしないのか。
そこで本題だが、そのような人々のための教訓がいくつかある。

 

 

 

■仕事の上手な仕方

仕事にはコツがあり、それを飲み込めば仕事をする気になるのも、仕事をするのも楽になる。

 

⑴動機
愛や社会に対する義務感など高級な動機で働けば、失敗や飽きで嫌になったり、成功で満足して熱意を失うことがない。これは持続性があり、結果にこだわらないということが可能になる。さらには人の精神を非常に強靭にする。

一方で金や功名心など低級な動機で働く者は時に熱意を持って働くこともあるが、長続きしない。こうした利己主義は弱点であり、しかも他の数々の弱点を生み出しもする。

 

⑵習慣化
怠惰を抑え、仕事に向かうのに習慣の強大な力を利用しない手はない。
我々は怠惰や逸楽といった悪徳に慣れるのと同様に、勤勉や節制といった美徳に慣れることができる。もっと言えば、どんな美徳も習慣にならないかぎり、本当に自分のものとは言えない。

習慣にするための方法としては、「とにかくやりはじめる」「モチベーションをあてにしない」「規則正しくやる」というテクニックが有効。

 

⑶優先順位
順番にこだわらず、大事な部分から始めること。
さらに言えば、仕事の最も簡単なところから手をつけるのが最も効果的といっても良い。そのせいで仕事の順序が多少遠回りになっても、とにかく仕事を始めて時間の節約になったという点で補って余りある。
また、「全て完璧」は人間にはまず出来ないことなので、仕事の核心となるごく狭い部分だけは完全に仕上げて、その他の枝葉にあたる広い部分は要点だけを抑えるというやり方が良い。


⑷仕事の内容を換える
最初は気乗りがしなくても仕事を始めなくてはならないが、仕事をし続けた結果として元気と感動がなくなってきたら、その仕事は中止する。
しかし、そこから他の仕事に取り掛かることでも休息と同じ効果があるので仕事自体をやめてしまう必要はない。


⑸力の節約
有益な仕事をするためには無益なことをしないことが大切。
今日では新聞や、くだらない会合などでどれだけ仕事への興味と力が奪われているかは筆舌に尽くしがたい。このような精神的雑用は一切避け、有益な仕事のために精神力を十分に蓄えておかねばならない。

 

⑹反復練習
精神的な仕事を最も容易にする方法は「反復」である。
精神的な仕事は一度目は全体の輪郭がおぼろげに掴めるだけだが、二度目には細部まで見えてきて理解も精確になる。

 

 

 

■終わりに

一度、仕事に没頭するということを知れば、人の精神は働き続けてやまない。
働く人だけが真の楽しみと休息はを味わう。働いていない人の休息は、食欲のない時の食事と同じだ。

最も愉快で、最も報われ、最も安価で、最も良い時間の使い方は、仕事である。

他人に働かせて暮らそうとする怠け者は結局滅びる。
未来は働く人のものであり、社会の主人はいかなる時代にも常に「勤労」である。

 

 

○感想

さすが仕事の人ヒルティだな。
「働かない上流階層」を何かと批判してるがヒルティ自身が「働く上流階層」なので説得力がある。まさに高学歴×長時間労働。幸福論三部作のしょっぱながこれというのも人柄が現れている。

それにしても仕事に没頭する楽しさはわかるが…何と言っても自分には「高級な動機」が欠けている。どんな割りのいい仕事でも低級な動機に由来する「やらされ感」は本当に苦痛だ。どうしようか。

自分が仕事にしたいものに上記のテクをぶっ込んで行くしかない。
“自分の専門分野以外何も目に入らないほど没頭できる芸術家や学者はどんな変わり者であってもこの上なく幸せな労働者である”
これだよこれ。

 

 

 

幸福論 (第1部) (岩波文庫)

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